僕のコレクションは海外からこの手に届く

僕の大好きな趣味を 僕の勝手な目線で配信します。車とバイクと時々レトロゲームです。

スカイライン誕生の秘話(日本の会社を応援したい)

 

 先日 ダイヤモンという雑誌に 今後倒産するであろう

 会社ランキングに 悲しいかな

 

 日産自動車が書かれていました。🙅‍♂️🙅‍♂️🙅‍♂️

 それは だめである

 

 

一度 調べでみたかった 日産スカイライン指差し

 

 

 

  スカイライン誕生の秘話

 

 スカイラインを生んだプリンス自動車工場

 

 もとの名前をダウンダウン

 

 富士精密工業といいます。

 

 

 

   この会社の前身は

 ・「中島飛行機製作所」

 ・「立川飛行機株式会社」

 

 という 二つの会社が前身であるのを 

 ご存知でしょうか?

 

 この両社は 大正時代からスタートした  

 有名な航空機メーカーでした。

 

 

 太平洋戦争中 

 

 中島は 陸軍の一式戦闘機「隼」(はやぶさ)

 海軍の 「零戦」用エンジン「栄」 

 「紫電改」(しでんかい)

 などに搭載された 「誉」を製造していました。

 

「誉れ」中島飛行機が制作した 旧陸海 軍に納入した 航空機用の

 空冷エンジン

 

 

 

戦後は 2社ともに 航空機とは縁を切り

 別々の道をたどっていきました。

 

 

 

 ・立川は 電気自動車の生産に乗り出して

  いき「東京電気自動車」と改名

  のちに「たま自動車」となります。

 

 

 ・中島は 船舶用エンジン ミシン 

  映写機のメーカー「富士精密工場」ヘと 

  転換していきました。

 

 

 

昭和25年朝鮮戦争で時代は急変

 

  ガソリン価格の急落で クルマは 

  ガソリン車時代へと移る。

 

 

  たま自動車は 電気自動車「たま」

  の生産を打ち切り

  ガソリン車の開発にかかったそうです。

 

 

 

 昭和26年 10月 富士精密工業が 

 1500ccエンジンの設計依頼を受け

 試作車 1号が完成する

 

 「プリンス・セダン」と命名されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

運命の奇跡

 

 再び同業者となった 両社

 

 昭和29年 4月 

「富士精密工業株式会社」として合併

 

 ALSIの開発に取りかかりました。

 

 

 このクルマが 後の スカイラインであります。

 

 

満員の観客が衝撃と感動を受けた 

 

 

 

 

ALSI

 

 

 昭和32年4月24日

 東京 日比谷 宝塚劇場

 

 そのステージの幕が開く

 

 「プリンス最新型乗用車・スカイライン

  発表記念ショウ」

 

 その壇上中央に富士精密工業株式会社が 

 総力を結集して作り上げた

 クルマ

 

 プリンス・スカイラインALSIーⅠ

 がおかれていた。

 

 会場に詰めかけた 満員の観客は 

 衝撃と感動を受けたそうです。

 

 

  

 

 

 初代スカイラインは 昭和38年までの 

 7年間に6万5804台を生産

  また、

 昭和36年 2月 富士精密工業株式会社は 

 プリンス自動車工場と名を改名

 

 

 

 

 広い層から支持され 愛されたクルマ

 

 スカイラインは 日産自動車を代表する

 車種であり

 確固たる存在の誇りであると 私は思います。

 

 

 

日本のクルマ会社に エールを指差し指差し指差し

 

 

(NEW SKYLINE 新潮文庫 一部引用)